「自分が絶対に正しい」と思っている人の心理
世の中には、自分の意見が絶対に正しいと思っている人がいます。
自分が正しいと思っている人は、大体はプライドが高い人です。
・自分には能力がある
・自分のほうが人より仕事ができる
・自分の考えかたは常に正しい
そんな人は、自分が信頼している上司や先輩以外の人が意見を言ったところで、
聞く耳をもってはくれません。
聞く必要がないと思っているからです。
だって、自分が絶対に正しいから。
つまり、自分が正しいと思っている人にあれこれ文句や意見を言われている時点で、自分よりも格下だと思われているということになります。
言わずもがな、それは態度に表れるものなので、ストレートに言わなくても相手には伝わってしまいますよね。
特に繊細で空気が読める相手だった場合は尚更です。
目は口ほどに物を言うとも言いますが、
このタイプの人の場合は目からも口からも本心が丸見えの状態です。
そして、そんな人に何を言っても、絶対にこっちの意見は聞こうとしてくれません。
「でも」「だって」「だから」
何を言っても否定的に意見し、反抗してくるばかりです。
こうなると、本当に上司や目上の人が物議をかまさないと収拾は付きません。
それで、本当にそのタイプの人が言っている意見が正しければ良いのですが、
そうじゃなく意に反している場合があります。
それでも、自分が絶対だと思っている訳ですから、何も変わりません。
何故かと言うと、自分の意見が通らなそうな危機がくると自己主張を強めてくるからです。
絶対に、引き下がろうとはしません。
相手が妥協し、自分の意見に従う意思を見せてくるまで、強めに言います。
我が強い人は、萎縮しません。
だいたいは自分よりも相手の方が優しかったり、大人しい人な場合が多いのです。
しかし、自分が正しいと思っている人同士が対立した場合はどうなるでしょう?
これは、実際に主人の職場であったことなのですが・・・・・・。
お互いが怒鳴り合い、主張し合い、頑なにどちらも譲ろうとしなかったそうです。
そのまま怒鳴り合いが2時間以上も続き、最終的に何も変わらず、全くお互いが折れずに喧嘩別れしたままになったそうです。
まさに、時間の無駄ですよね。
ですが、この世に絶対に正しいことってあるんでしょうか?
もちろん、理にかなっている事柄は沢山ありますし、
こうしたから事業が上手くいったとか、
結果論から「あなたの意見に従って良かったわ」って思うことはあります。
ですが、それは良かった場合であって。
最善の方向へ向かうために会議を開き、議論し、様々な意見を取り込み全員で考え色々な方向性を見出して決めていくことが大切なんだと思います。
一見、正しいと思われる意見でも、
他の人の視点から見るとこっちの方が良いんじゃないか?
と思われることもあります。
それは、人それぞれの思考があるからですね。
こう思っていたのに、実はこう思われていたとか。
親切に考えたことが、逆にありがた迷惑になっていたとか。
色々なことがあります。
大切なのは「自分の意見を聞いて欲しいから、相手の意見も聞く」
これに尽きるのかなと思います。
1回は、お互いにその意見に対してをしっかり受け止めて可能性を考えていくのが大切なんじゃ無いのかなと思うのです。
器の小さい人は、気に入らないと怒鳴り散らして無理矢理に言うことを聞かせようとします。
それは前にも同じように強めに言ったら、相手が折れてくれたことがあるからです。
絶対に引き下がらない相手だと、前に書いたようにずっと喧嘩を続けます。
自分が正しいって、ただの自信過剰な場合が多いんですよね。
ですが、現にそうゆう人は沢山います。
私の周りにもいます。
そうゆう人と接していると、こちらが疲れてしまうだけです。
そんな人と上手に付き合うには、意見を当たり障りなく受け止め、絶対に否定から入らないことです。
優しい言い回しで意見を聞き、少し違う意見も言ってみたりして怒鳴られない程度の意見交換で終わることができたら、それが一番その人と接する上でのベストなんじゃないかな~と思うのです。
正直、面倒なんですよね。
無駄な言い争いだなと思ってしまうんです。
相手のそんな性格を知って対応し言いたいことを我慢するのも、関係が円滑に進む為には大切なことかなと思っています。
これも立派な、大人の対応ですね。
自分ばかりが損をしているんじゃ?と思ってしまうのは仕方ないです。
ですが、そうすることが丸く収まる最善の方法なら、
もうそれで良いとも思うんですよね。
相手がまだ子供だっただけ。
広い器をもつ人達は、そんなことでウジウジ考えません。
このプロジェクトが無事にすんで良かったなと、結果論だけで考えます。
自分が中心で世界が回っていると思っている人には、
そのまま自分だけ回り続けていてもらいましょう。
(つづく)
「なんでも良いよ」は無責任
私たちは常に色々なことで悩みますね。
明日の学校や仕事のこと。
友達や家族のこと。
身体や心のこと・・・・・・。
色々な悩みがあって、考え、どうしようかと答えを探します。
その中で、特に主婦や一人暮らしの人が抱えている毎日の悩み――。
それは、献立を考える事です。
今日は何を食べようか?
明日は何を食べようか?
その次は?
またその次は?
人間が生きていく中で、常に考えることです。
賢い人は、パターン化してこの日はこれを食べるとか。
頭の中でレパートリーが豊富だとポンとすぐに思いつけますが。
そうでない人にとっては、毎日考えていくのが苦痛になってしまいますよね。
そんな時、一人だったらこれで良いかと適当なもので済ませてしまいがちですが、
家族の分も用意するとなるとそうはいきません。
家族全員の健康管理を任されている主婦の皆さんには、毎日頭を悩ませている人も少なくないでしょうね。
その中で、家族に「今日なに食べたい?」と聞くと必ず返ってくる返事があります。
「なんでも良いよ」
私は、この言葉は無責任だなぁ~と思うのです。
だって、考える事を放棄している言葉なのですから。
「一緒に考える気は無いよ。」
そう言われている気がしてならないのです。
そして、なんでも良いと言う人は、本当になんでも良い人と
なんでも良くない人がいます。
じゃあこれは? と提案したとしても
「これはなぁ・・・・・・」って言います。
それじゃあ、こっちは?
「うーん」
じゃあ何が良いのよ!
お決まりのパターンです。
相手に考えて決めることを丸投げしておいて、
なんて適当で無責任なんだろうと思ったりします。
それだけ、悩んで考えて決めるということは大変なことです。
恋人とデートをするとして。
何処に行こうか?
なにをしようか?
ランチは何を食べようか?
そのあとどうしようか?
たくさん考えて決めることがありますよね。
その中で、パートナーにどうする?
って聞かれた時に、
「なんでも良いよ」って返事をしていませんか?
私も無意識に言ってしまっていたことがあります。
ですが、その言葉が無責任だと気がついた時に何て自分は酷いことを言ってしまっていたのだろうと思ったのです。
なんでも良いよと投げかけて、じゃあこれにしようと即決してくれる相手であったらすごく楽です。
現に、私の友人もそのタイプでしたので、
簡単に「これね」って決めてくれてとても気兼ねしなかったです。
ですが、そんな相手なのは偶然ですし、自分で決めなければならないことも沢山ありますよね。
その友人のように、自分は即決できずにいつまでもウジウジ考えて決められないでいます。
すぐ決められて凄いなぁ~と友人を尊敬すると同時に、今まで他人に考えさせ決断までさせ続けてきたツケが回ってきたなと思うのです。
優柔不断は性格もありますが、それだけではないです。
今まで考えて決断する癖がついてないってだけの場合もあるんですよね。
しんどいと思ってしまうと、どうしてもそればかりが頭に残ってしまいます。
考え決断することを、億劫に感じずに、なるべく楽しんで悩む努力をしなければなと思う今日この頃です。
「なんでも良いよ。」
言わないようにしましょうね。
(つづく)
「三つ子の魂百まで」が生み出す勘違い
私が子供を産み、母となった時。
子育てが始まり一人目は初めてなことだらけで。
神経を使い、それはそれはきちんと育てようと思う日々でした。
わからないことだらけで、自分の身体も産後で言うことを聞かず、
誰も手を貸してくれる人はおらず、泣くばかりの我が子を見て
ただただ途方に暮れる毎日でした。
一緒に泣いたり、わかんないよ・・・・・・って問いかけたりしました。
それは母になった自分にとっての、一番最初の試練でした。
ようやく子育てにも馴れて、子供が自分の足で歩いたり、少しずつ会話ができるようになってきたころ。
周りから言われることわざがありました。
「三つ子の魂百まで」
3歳頃までに人格や性格は形成され、100歳までそれは変わらない。
という意味です。
ですが、多くの人がその意味を間違えて捉えてしまい、ことわざだけが一人歩きしてしまっているような印象を受けました。
「3歳までに身につけたことは一生忘れない。」
これは、間違いです。
この間違いで捉えられていることによって、
3歳までにしっかりしつけをしなければいけない。
そう解釈して厳しく子供に接する人がいます。
現に、私の夫や義理の両親もそんなタイプでした。
昔から言われていることわざや教訓は、そのまま引き継ぎそのとおりに育てる。
地方の文化やしきたりなども色々ありましたが、
一番最初に口酸っぱく言われた言葉はこれでした。
そして、いつの頃からかそのことわざを気にした夫は、子供を強く叱るようになりました。
叱っても、理由が叱られて当然のことをしているからだと止められず、
逆に叱らないと義理の両親に何を言われるかわかりませんでした。
私は強く叱ることはありませんでしたが、
そんな夫を止めることはできませんでした。
泣きじゃくる子供を後で抱きしめてあやすしかできませんでした。
そして、やめてほしいと告げると夫は必ず言うんです。
「俺だってキツく叱りたくはないけど、3歳までにしっかりしつけないとその先じゃ変わらないから遅いんだよ。」
何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。
その当時は、そんなことわざがあることをとても憎みました。
どうしてこんなに小さく、まだ人生経験も浅い言葉もしっかりしゃべれない子が強く叱られ続けなければいけないのか――。
そんなことのために、この子を産み育てているのではないと思いました。
そしてなにより、その子の人格・性格を大人達の手で強制的に作りだそうとしていることに無性に腹が立ちました。
なにが、三つ子の魂百までだ――と。
その当時は子供のことで一杯一杯で、しっかりと意味を調べたりすることはできませんでしたが、感覚的におかしいことをしているというのは分かりました。
間違っていなくとも、おかしいと思っていたと思います。
成長した今、子供は幼い頃に叱られた記憶が消せずにいます。
夫はもう強く叱ることはなくなりましたが、
この世で一番嫌いで恐いものは「パパの怒鳴り声」です。
地震や雷、鬼よりも恐い物です。
そして、幼い頃に叱られ続けた子供はかなり内気な性格になりました。
もともとの性格が大人しく静かな子なのだろうと思いますが、
周りの言うことには大人しく従い、自分の意見をしっかりと持てず、
なかなか自己主張ができずにいます。
学校に行きたくなくなり悩んでも、
なかなか相談してくれなかったりしました。
本当に体調面で苦しくなってしまうまでは、
どれだけ悩み苦しんでいたのか気づけなかったです。
母親なのに、子供のことをわかってあげられなかった。
子供の助けてという声が聞こえなかった。
今、私が後悔していることです。
そして思います。
大人がしっかりしつけようとしなくても、
子供は素直に育ってくれます。
子供らしい本来ある性格と、周りを思いやる気持ちは
そっとしていても育っていってくれます。
それがその子の性格であり、
その子らしさを育てる事に繋がるのかなって思うんです♪
叱ると怒るが違うように
しつけと押しつけは違います。
幼く純粋な心を、
豊かにのびのび育てていくのが大切なんだと思います。
ことわざや教訓も大事ですが
そればかりに囚われたり、
勘違いしないようにしましょうね。
(つづく)
悩んでいる人ほど相談できない現実
人は誰しも悩みます。
おまけに、その悩みを誰にも相談できずに1人で抱えて苦しんでいます。
例えば学校に行けなくて悩んでいたりして
担任の先生や、親。
保険の先生やカウンセラーの先生が、
「話を聞くよ?」
って言ってくれたりします。
ですが、自分の苦しみが他人にとっては全く大したことのないように受け止められないかと心配になります。
自分がこんなにも苦しんでいることを、伝えても「でもね」「じゃあ」って言われてしまうのがとてつもなく恐くなります。
本音を言ってしまうのが恐すぎて、本当はもの凄く言いたいけれど、言おうとすると泣いてしまう人もいます。
そんな時に「話を聞きますよ」「1人で悩まないで」と言っている人を頼りたくなります。
ですが、そんな人達を頼れない人がいるんです。
それは何故か。
「話を聞いて欲しいです」と、勇気を出してその人に伝えられないからです。
例えば、スクールカウンセラーの先生に相談したかったとします。
毎月に1回の来校などで、相談者と面談する時間を設けてくれますよね。
ですが、その先生との面談までするためには、話を聞いて欲しいと手を挙げ、何日の何時にどこどこで面談ができますと日時や場所を指定されて初めて相談ができます。
本当に相談したくて悩んでいる人の中には、その「話を聞いて欲しい」と手を挙げることがまずできません。
担任の先生や保健の先生に、相談したいと言うことができません。
本当はもの凄く相談したいのに・・・・・・。
SOSを相談できる電話窓口などもそうです。
「1人で悩まずにお電話下さい」
という電話番号が一緒に書かれた小さなカードなどが学校で配られたりもします。
ですが電話というのは、なかなかハードルが高いのです。
もちろん、ダイレクトに相手の声が届き、話を聞きやすくすぐに助言もできます。
相手の顔は見えないけれど、個人的な相談にワンツーマンで乗ってあげられる。
それは素晴らしいことです。
ですが、電話自体がかけられないんです。
相談するまでの行動が、とても億劫に感じてしまいます。
ちゃんと相談できなかったら。
ちゃんと自分の言いたいことが伝えられなかったら。
共感して貰えなかったらどうしよう。
否定的なことを言われてしまったらどうしよう。
色々考えます。
もちろん、相談を聞いてくれる人達は否定的な事は言いません。
基本的には受け身で居てくれますが、どんな答えが欲しいのかは悩みの数だけ違います。
結局、相談しても何も変わらない。
モヤモヤが増し、やっぱり相談しなきゃ良かったかも知れない。
そう思う人もいます。
ネットでも、悩みを相談できる掲示板はたくさんあります。
ですが、匿名で相談でき、匿名で回答できるシステムは、
何処の誰だかわからない相手と完全に文面でのやりとりになってしまいます。
誹謗中傷が社会問題になっていますが、
相談する人が人間なら、相談される人も人間だからです。
皆、それぞれ考え方の違いがあるから当然のように食い違いもでてきます。
同じ励ましの言葉でも、立ち直れる人とそうでない人がいます。
心って、それだけ繊細で尊いんですよね。
そんな1人で悩んでいる人を、どうしたら救ってあげられるのかよく考えるのです。
そして、思いました。
人はどうやったら立ち直ることができるのか。
心が元気になって、勇気が出せるのか・・・・・・と。
「希望」を持つことです。
もうダメだ、この先なにをやっても失敗するだろう。
こんな自分なんて、もう生きてる意味なんて無い。
自分なんか、居ても居なくても変わらないし・・・・・・。
そんな自分に否定的な意見を覆すためには、
この先の未来を明るく照らしてくれる希望が必要なんです。
その為にはどうしたら良いのか。
立ち止まらないことです。
悩んで止まり続かないことです。
悩むのは良いことですし、自然なことです。
ですが、悩むのならずっと考え続けるんです。
答えが出るまで。
自分なりの答えを探し続ける為です。
とりあえず、出来そうなことをやってみるんです。
身体が辛かったら、とにかく寝るんです。
健康に気をつけてから、色々な可能性を考えるんです。
自分のことに全力を注ぐんです。
周りは関係ありません。
だって、誰だって1番よく知っているのは
自分自身のことだから――。
自分のことを大切に、
自分の為に人生を歩んでいきましょうね^^
(つづく)
自分が生きている意味の正解がわかりますか?
こんにちは! るんらびです^^
前回の記事から大分、間が空いてしまいましたが(;゚ロ゚)
また記事を書いていきたいなと思います。
この数ヶ月の間に、色々な変化がありました。
今までのブログにあるようなこともそうですが、
私の人生は本当に自分次第で変われるんだなと実感しています。
沢山の思いがありました。
悩んだり、焦ったり、怒ったり――。
笑ったり、楽しんだり、様々な感情が私の中に駆け巡ってきてくれています。
それが、人間らしさであり、生きる希望にもなってくれます。
何が言いたいか? というと――。
「悩んでいることは自然なこと」
悩む事は普通なんです。
なんの悩みも無いよ~なんて人はいません。
もしいたとしたら、普段何も考えずに過ごしているか
不平不満が一切無い人です。
世の中は、不平不満ばかりです。
正しいはずの道が、間違っていると指摘される世の中です。
私自身も、今までの中で自分が正しいと思う道を辿り、考え決めた通りにしてきました。
ですが、そのほとんどは想像とは遙かに違いました。
子供や主人の不調があったり、詐欺にあったり・・・・・・。
(過去記事にあります)
自分の中の常識は、ただの無知で非常識な考えだったのだと気づきました。
もちろん、結婚や出産。
やって良かったな、決めて良かったなと思うこともあります。
ですが、それと同時に、あの時こっちの道に決めていたら今の私はどうなっていただろうか――と、考える事もあります。
それは全て、自分で決めて進んだ道でしか見えない景色だからです。
自分が見た景色は、直に人生に関わってくることです。
もし、辛いことや辞めたいことができた時には、あの時の選択は間違っていたのかも知れないと思う事もあると思います。
ですが、それはその道に進んでみないとわからない架空の世界です。
もしかすると、あの時に反対の選択をしていたら今よりももっと辛い目にあっている可能性だってあるんです。
選んだ道が間違っていて、選ばなかった道が正しい訳じゃ無いんですよね。
見えていない世界だから、そっちの道の方が景色が良かったかもと思ってしまいます。
ですが、後悔してはいけないと思います。
その枝分かれに合った時にこっちの道を選んだのは自分自身です。
単純に選んだわけじゃないですよね?
とても考えて、とても悩んで、とても真剣に考えて選んだはずです。
どの道を選んでも、楽な道なんてありません。
それが「人生」です。
平凡なまま終わってしまう人生は、平和かもしれませんがメリハリもなければ面白みもなくなります。
飽きちゃうんですよ、人生がつまらなくなってしまう。
だから、自分で選んで進むんです。
夢があり、そうなりたい自分をその道の先に目指すために。
誰でも、自分が生きている意味を考えたりしますよね。
なんて自分は可哀想なんだ、なんて辛いんだ、自分なんかダメな奴だ、自分が生きている価値なんかない、なんの為に生きているんだ、もう・・・・・・にたい。
この広い世界の中で、たった一匹のアリンコのように小さく無力な自分。
惨めに思う事もあるし、自分が消えても周りは何も思わない・・・・・・なんて思ってしまったり。
私はこう思います。
「自分が生きている意味を求めたところで、答えなんかない」んです。
命があるから人生があるんです。
自分が存在できているから、自分で生きれる道ができています。
そんなことは、とてつもなく大きな偶然であり、強運なんです。
もしかしたら、他の動物に産まれていたかも知れない。
海の中で、魚になって泳いでいたかもしれない。
木にしがみついて、一週間しか鳴けない蝉になっていたかもしれない。
人間になって生まれて、人生を歩めていること自体が「奇跡」です。
こんなに幸せなこと、ないと思います。
自分を大切に。命を大切に。
辛かったら、休んでも良いんです。
泣きたかったら、大泣きして下さいね。
わたしもやりたいことをします。
良い人生だったなって思って終わりたいです。
そうしたら、勝ったも同然です♪
楽しい人生にしましょうね^^
命よりも大切な仕事
2度目の転職先は、地元のお風呂屋さんでした。
某有名会社のユニットバスを組み立てる業者さんです。
この会社は、基本的に出張がメインでした。
毎日、建築中のお家を転々として1日でユニットバスを組み立てます。
遠い現場だと、隣の県まで行く事になり、朝早くからよる遅くまでかかることもありました。
基本的に、2人一組のペアで各々朝に会社で部品を積み、現場に行き帰ってくる感じでした。
この今までと全く違う職業を選んだ理由は、気持ちを新たに切り替えたかったことや、知らない世界を見てみたいということでした。
未経験でも大丈夫ということでしたが、技術や経験が付きものの仕事でしたので、最初から分からないことだらけで迷惑もかけてしまい、それはそれで大変な思いをしていましたが、社長さんや班の親方さん達は優しかったようです。
人間ですから、どの会社にも自分の苦手なタイプの人達は数名いるものです。
ですが、自分のことを注意してくれて叱ってくれる存在は大人になってからは貴重な存在ですし、成長できるよねと励まし合っていました。
仕事を覚えるのと同時に、朝が早く遠くまで行くことが大変だったように思います。
工場の頃は三交代でしたが、地元の町にある会社だったので、車で15分くらいの場所でした。
それでも、その日の分の仕事が終われば早めに帰っても大丈夫という感じでしたので、早く終わった時はとても嬉しそうにしていました。
現場に行くのも親方さんとのドライブのような感じなので、仲が良くなった人達と会話しながら現場に向かうのも楽しそうでした。
それから1年、2年ほどその仕事を続けていましたが、実はその中でもっと良い場所はないかと転職先を探し続けていたことも確かでした。
早く職場復帰しなければと、半ば無理矢理に決定した場所でしたので、もっと良く考えて決めたいと欲が出ていたのも確かです。
人間ですから、向き不向きはあり、得意不得意もあります。
お風呂屋さんが向いていたかと言うと、あまり上達の頻度は著しいようでしたので、本人も苦労した部分はあったかなと思います。
お風呂屋さんを続けていきながら、私も次の転職先を一緒に探しました。
なにより、日勤でそれほど遠くない場所で仕事がしたいということ。
身体が資本ですから、なるべく続けやすい仕事が良いなと思っていました。
そして、3度目の転職をする機会がやってきました。
その会社はまた工場でしたが、完全に日勤であり、仕事内容も前とは違いました。
少し距離はあるものの、往復1時間ほどで行けます。
そして、いきなりの正社員募集でした。
職種は違えど、工場経験者で少しの技術免許も持っていましたので、これは逃す手はないと私はその会社の話をしました。
夫も「良いね」と気に入ってくれ、早速応募することになりました。
夫は仕事を普通に続けていましたので、私が書類を用意しました。
履歴書は書いてもらい、職務経歴書は私がPCで作り、最後にチェックしてもらい、送りました。
そんなにしないで、面接の案内が届いたと思います。
夫は喜んで面接に行き、その日のうちに正社員になることを決めてきました。
私の作成した職務経歴書が良かったと、喜んでくれました。
それから、その時の職場を辞めて新しい工場に入るのは早かったです。
社長さんが話のわかる方でしたので、この会社にいて良いの? と、よく心配してくれていたと聞きました。
辞めますと話に行った時も、すんなり受け入れてくれて大変じゃなかったと言っていました。
それから月日が経ち、年月が経ち、今も3度目の転職先で元気に働いています。
給料は多くはありませんが安定しており、年に2回のボーナスも出ます。
理不尽なことはもちろんありますが、班長さんもとてもいい人そうで、今までで一番良い職場だねと喜んでいます。
ここまで元気に続いていることが、一番の証拠ですね^^
私は、転職は悪い事ではないと思って居ます。
誰でも悩み、仕事は嫌いだし、もっと給料が良い所に行きたいと望みたいものです。
なにより、自分の人生の中で1番の肝になる部分ですから、慎重に決めたいですよね。
義理の妹は、ああゆう性格ですので(※前の記事参照)
「一カ所の職場でずっと頑張れないなんて根性が足りない。我慢ができないなんて怠惰だ」
そんな意見を言っていました。
ですが、一カ所の職場で頑張れたらなにか偉いんでしょうか?
自分に合っていれば、ずっとそこで頑張れますが・・・・・・。
それは運もあるし、確かに辞める理由にもよります。
自分で悩んで変える考えを持つ方が、しがみついているよりもずっと勇気が要ります。
働くというのは、命あってのことです。
健康でなければ働く事は出来ません。
それに大切な心と身体を、優先しただけのことなのです。
一度だけの人生を、悔いの無いように過ごしていきたいですね^^
(つづく)
ブラック企業の実態
夫は今までに3回の転職をしてきました。
それは、いつでもきちんとやめる理由があってのことです。
何回も繰り返し悩み、考えながら私と一緒に出した決断でした。
就職は、なかなかどこにしようか難しい部分があります。
そして、始める理由よりも、辞める理由の方が深く悩み決断すると思います。
最初は親戚が経営している土建屋さんでした。
親戚同士の付き合いで高校を卒業してから入りましたが、なかなか満足な給料をもらえず親戚だからと軽い扱いを受けていました。
それが、1度目の転職をするタイミングでした。
どんなに頑張っても、この先もっと給料を貰えるようになるどころか、普通は貰えている金額にも届かないように裏で隠蔽操作されていました。
親戚同士で対立し、仲の良くない兄弟間でしたので、それが一番の辞めるきっかけになったと思います。
次の職場は、工場で三交代勤務の会社でした。
地元にある小さな工場で、地方に本社を構えていました。
そこでは1週間おきに、早番・中番・夜勤が班で入れ替わり三交代でシフトが変わっていきました。
初めの頃は、慣れないながらも頑張って仕事を続けていました。
やいのやいの言いながらも、よくやっていたと思います。
ある頃を境に、会社の景気が思わしくなく、尋常じゃないほどの仕事量が襲いかかってきました。
つべこべ言わずにやれ、残業をするな、納期を終わらせろ、作り置きをするな。
思いがけない理不尽な言葉の数々が、夫や班の人達に注がれていきました。
人数も少なく、常に人手の足りない工場でしたので、工場長や上司の方々からの強いお指摘はそのままストレスとなって襲いかかってきました。
それでも当たり前のように、仕事をする日々。
三交代で夜勤の時は思うように昼間あまり寝ることが出来ず、定時の8時間勤務の後に暗黙の了解でサービス残業を6時間することがザラになってきました。
残業をするなと口先だけ言っている上司も、実際には個人のシフトをしっかり把握はせずに残っていても見て見ぬふりをしていました。
それでも、いくら残っていても全てサービス残業です。
貰える給料は、夜勤手当が付いた定時分のみの給料でした。
三交代でのあまりの過酷さに、夫はついに身体を壊してしまいました。
精神的な、心の病気です。
いつもニコニコ笑っていた夫はもういませんでした。
泣きじゃくり、疲れ果て、給料明細を見てため息を漏らし、会社でいくら頑張っても誰も褒めてはくれず、逆に罵倒され「容量が悪いからだ」などと叱られる毎日でした。
友人達とたまに出かけて食事をしたりするのが楽しみだったのですが、あるきっかけで体調を崩し、友人に迷惑を掛けてしまってからは臆病になり、外出もままならなくなってしまいました。
2回目の職場が、一番心労に応えたと思います。
この頃の心境の変化や見た目の変わりようが明らかでしたので、私ももう見ていられなくなりました。
もう良いよ。
十分、頑張ったから。
もう、自分を追い詰めなくて良いよ。
そんな励ましの言葉をたくさん言っていたと思います。
そして、悩みに悩んだ末に、夫は会社を辞めました。
そこからは、すぐには転職先を探さずに、とりあえず寝かせました。
寝て、寝て、寝て、好きなことをさせて、ご飯を沢山あげました。
仕事で重ねた苦労の分、それ以上にしっかり休ませてあげたかったのです。
人間が一番大切にしなくてはいけないのは「心」です。
会社の為と頑張った夫の苦労は、使えなくなったらいつでも代わりがいるただの機械人形でした。
身体の疲れ、心の疲れ、しっかり休めて、また笑って欲しい。
それが一番の辞めて欲しかった理由でした。
そして、ようやく心身共に安定してきた頃に――
次の転職先を見つけ始めたのです。
(つづく)