「なんでも良いよ」は無責任
私たちは常に色々なことで悩みますね。
明日の学校や仕事のこと。
友達や家族のこと。
身体や心のこと・・・・・・。
色々な悩みがあって、考え、どうしようかと答えを探します。
その中で、特に主婦や一人暮らしの人が抱えている毎日の悩み――。
それは、献立を考える事です。
今日は何を食べようか?
明日は何を食べようか?
その次は?
またその次は?
人間が生きていく中で、常に考えることです。
賢い人は、パターン化してこの日はこれを食べるとか。
頭の中でレパートリーが豊富だとポンとすぐに思いつけますが。
そうでない人にとっては、毎日考えていくのが苦痛になってしまいますよね。
そんな時、一人だったらこれで良いかと適当なもので済ませてしまいがちですが、
家族の分も用意するとなるとそうはいきません。
家族全員の健康管理を任されている主婦の皆さんには、毎日頭を悩ませている人も少なくないでしょうね。
その中で、家族に「今日なに食べたい?」と聞くと必ず返ってくる返事があります。
「なんでも良いよ」
私は、この言葉は無責任だなぁ~と思うのです。
だって、考える事を放棄している言葉なのですから。
「一緒に考える気は無いよ。」
そう言われている気がしてならないのです。
そして、なんでも良いと言う人は、本当になんでも良い人と
なんでも良くない人がいます。
じゃあこれは? と提案したとしても
「これはなぁ・・・・・・」って言います。
それじゃあ、こっちは?
「うーん」
じゃあ何が良いのよ!
お決まりのパターンです。
相手に考えて決めることを丸投げしておいて、
なんて適当で無責任なんだろうと思ったりします。
それだけ、悩んで考えて決めるということは大変なことです。
恋人とデートをするとして。
何処に行こうか?
なにをしようか?
ランチは何を食べようか?
そのあとどうしようか?
たくさん考えて決めることがありますよね。
その中で、パートナーにどうする?
って聞かれた時に、
「なんでも良いよ」って返事をしていませんか?
私も無意識に言ってしまっていたことがあります。
ですが、その言葉が無責任だと気がついた時に何て自分は酷いことを言ってしまっていたのだろうと思ったのです。
なんでも良いよと投げかけて、じゃあこれにしようと即決してくれる相手であったらすごく楽です。
現に、私の友人もそのタイプでしたので、
簡単に「これね」って決めてくれてとても気兼ねしなかったです。
ですが、そんな相手なのは偶然ですし、自分で決めなければならないことも沢山ありますよね。
その友人のように、自分は即決できずにいつまでもウジウジ考えて決められないでいます。
すぐ決められて凄いなぁ~と友人を尊敬すると同時に、今まで他人に考えさせ決断までさせ続けてきたツケが回ってきたなと思うのです。
優柔不断は性格もありますが、それだけではないです。
今まで考えて決断する癖がついてないってだけの場合もあるんですよね。
しんどいと思ってしまうと、どうしてもそればかりが頭に残ってしまいます。
考え決断することを、億劫に感じずに、なるべく楽しんで悩む努力をしなければなと思う今日この頃です。
「なんでも良いよ。」
言わないようにしましょうね。
(つづく)