自分がダメだと思う人。気づいて下さい!

 

人は皆、他人と自分を比べてしまうものです。

 

それは、良いことだとも悪いことだとも言えません。

 

大体の比べてしまう人は、相手の方が自分よりも勝っている時に考えると思います。

 

あの人はちゃんと出来ていることが、自分は全然ダメで・・・。

 

あの人の方が、自分よりももっと頑張ってるな・・・。

 

そんなことばかり考え出してしまうと、

 

それしか考えられなくなってしまいます。

 

 

自分はどうしてこんなにダメなんだろう・・・。

 

もっと頑張れない自分が恥ずかしい・・・。

 

どうせ、自分なんて・・・。

 

 

 

こんな風に思ってしまう人。

 

待ってください!

 

 

 

自分のことをダメだと言わないで下さい。

 

どうか、自分を大切にしてください。

 

今、なにもやっている状態じゃないとしても。

 

何もしてないわけじゃない。

 

頑張れてないわけじゃない。

 

自分のことについて考えている時点で、

 

もう十分、頑張っているんです。

 

 

どうか自分だけは、自分に優しくしてあげて下さい。

 

自分だけは、自分を守ってくれる人であって下さい。

 

家のことをあまりできずに、今日も一日終わってしまった・・・。

この仕事をうまく出来ずに終わってしまった・・・。

 

ダメだと反省していること、それで良いんだよと許してあげて下さい。

 

ダメだなんて思う必用はありません。

 

今の自分を許し、愛し、励ましてあげて下さい。

 

いつもとなにも変わらなくても大丈夫。

 

いつもより出来なかったと思っても、大丈夫。

 

失敗したのは、挑んだ証。

 

落ち込んだのは、希望がある証。

 

 

どんな時も、自分のことを一番わかってくれるのは自分自身です。

 

自分がどんなに辛いか、大変かを理解してあげなかったら、

誰も自分のことをわかってくれる人はいません。

 

こうして欲しいって要望があっても、

言わないでいれば自分以外には伝わりません。

 

自分が辛いときに、一番何が欲しいのかと問われると、

やっぱり、自分のことを認めてくれる人が欲しいものだと思います。

 

気づいて欲しいです、一番近くにいるんだよ――て。

 

自分のことは、自分で守れる。

 

自分のことは、自分が良く知ってる。

 

だから、

 

自分に優しく。

 

自分を愛してあげて下さい。

 

少しずつでも良い、変わりたいと思うなら。

 

自分なんて・・・と思っている「自分」に対しての評価を、下げない勇気を持って欲しいです。

 

これで良いんだと思えるようになると、

 

意外と気楽になれていけます。

 

自信が持てるようになると、

笑顔になれていきます。

 

明日は自分の未来を何通りも作り出せます。

 

それを決めるのは、自分自身です。

 

 

今日も頑張ったねって、頭を撫でてあげて下さい。

未来について、夢を自分に語ってあげて下さい。

 

きっと、どうすれば良いか・・・。

 

だんだん答えが見えてくると思います。

 

自分の気持ちに正直に。

自分の一番のファンでいてあげて下さい。

 

 

 

生きているだけで、あなたは素晴らしいのだから――。

 

 

(つづく)

 

頑張る人が「損」をするのが常識?

 

毎日、仕事に頑張り続けて。

会社の為に必死で働いて。

 

苦労して考え、体力的にも疲弊して・・・。

 

それでも、会社の為、自分の生活のために頑張っている

社会人のみなさん。

 

心から、お疲れ様です。

 

会社では、我慢しなければいけないことが沢山ありますね。

楽しいことや、やりがいがあることもあるとは思いますが、

それだけじゃなく、しんどいことや大変なことは沢山あります。

 

仕事が終わらずに、残業になることもありますよね。

 

わたしが、常に疑問に思っていることがあります。

 

それは、頑張る人が結局は損をしてしまっているのではないか?

ということなんです。

 

仕事をしていると、色々な性格の人と接しなければいけませんよね。

上司の言うとおりに素直に従ってそれ通りに事を進められるひとは優秀です。

 

ですが、そうでない人もいます。

気に入らないことを気に入らない、おかしいと言えたり、

自分の仕事はいまこうなっているから、そっちの仕事は向こうがやるべきだ!

などと、自分の感情をそのまま相手に伝えられる人もいます。

 

気に入らないことは、納得いくまで、自分の意見に従わせられるようになるまで怒鳴ってくる人もいます。

 

そんな人の相手をしているのは、だいだいは真面目にやっている人です。

自分のことばかりな人を相手にするのはとても疲れるものです。

だって、自分がどこかで折れなければ相手が折れることはないのですから。

 

そして、そうふう人の方が、真面目に頑張り続けている人よりも得をしていると思うんです。

 

真面目に、言われたとおりに断れずに仕事をしている人は、ストレスもその分かかります。

それでも正しいことを頑張り続けるのは当たり前な社会ですから、必死に仕事をしますよね。

 

ですが、その頑張りが会社に認められていないのが大きな問題です。

 

会社は結果が全てです。

役職や、仕事の結果で個人の評価をされたりすることの方が多く、

本当に文句も言わずに仕事をしている人達の給料が上がらないことは沢山あります。

 

それも、自分の言いたいように文句も言えている人と比べると、そんなに変わらなかったり、むしろ相手の方がもらっているんじゃ・・・。なんてこともあります。

 

自分が普段、どれだけ我慢して、言われることを飲み込んで、頑張り続けているのかを、会社はわかってくれません。

 

会社どころか、社会の常識がそうなってしまっているんです。

 

仕事に感情は必要ない。そんなこと言ったら語弊がありますが、

言いたいことを言いながら自分の思うとおりに仕事ができる人の方がずっと得です。

だって、言っても言わなくても、そこで評価されなければ給料は変わらないのですから。

 

自分の今までの努力はなんだったんだろう・・・。

 

そうおもってしまう人もたくさん出てきます。

残業が嫌だったのに、押しつけられてしまって断れなかったという人もいると思います。

それは全て、その人の真面目さと性格が生み出した結果なんですよね。

 

その違いは、本当に会社の方針や一緒に働く人によっての違いもありますが。

 

「見て欲しいところを見てくれていない」

 

そんな状況なんじゃないのかな。と、思ってしまうのです。

 

これは、わたしの持論ですし、社会のシステムがそうだと言うのなら、それに従うしかないのが国民です。

 

それだけ、常識や雇用には人々を縛れる力があるんですよね。

 

真面目な人が、愚直に頑張って仕事をして、やればやるだけきちんと評価され、報酬ももらえる・・・。

 

わたしは、そんな社会を熱望します。

 

頑張りは無駄じゃない。

自分のために。家族のために。

この国のために。

 

頑張り続けているみなさんが、一日も早くもっと評価される日がきますように――。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

哲学的な考え方

 

わたしはよく、物思いに耽ることがあります。

 

ぼーっと空を眺めて、動いている雲を眺めながら。

 

こんなに大きくて美しい世界で、自分がどうしてこんなにちっぽけなんだろうかと。

自分が生きている意味を探そうとしてしまいます。

 

いま、たまたま人間に生まれていて、たまたま日本人で。

そんな自分が生きているうちにできることって何なのか?

 

どうやったら、自分が生きたという証が残せるのか。

 

どうにも考えて居ても仕方の無いことを、よく考えてしまいます。

 

それは、わたしの性格にもあるようで。

そうに考えるのは、決して病んでいるわけではなく、正常なんですよね。

 

そんなことばかり考えて居るのが好きなんです。

性格診断とかをしてみたりするのが好きなんですが、本当にそんな性格なのだと結果が出て驚きました。

 

これは、哲学的な考え方なんだそうですね。

 

哲学って、前から実は興味があったんですが、なんだか頭が固いと思われないか心配で勉強してみようとまでは思ったことはありません。

哲学的な考えの人は面倒だとか、性格が悪いとか・・・。

 

なんだか、そんなことを聞いたりしてしまったことがあって、それがずっとネックだったんです。

 

でも、哲学は良い部門だと言ってくれる人もいます。

わたしは、そんな意見に囚われず哲学に純粋に興味があるんだなと思うのです。

 

まだ本を買ってみようとか思うまでには少し躊躇してしまいますが、

たぶん、そのうち買って読んでしまうと思います。

 

人が生きることに何の意味を成すのか。

 

答えが知りたいからです。

 

 

(つづく)

 

 

「努力は必ず報われる」は大間違い

 

「努力は必ず報われる」

 

この言葉を信じていますか?

わたしは信じていません。

 

だって、必ずなんて言い切れないですから。

 

報われる努力も確かにあります。

ですが、結果の出ない努力もたくさんありますよね。

 

じゃあ、努力がまだ足りないのか?

 

そんなことないんです。

努力して、努力して、努力して・・・・・・。

 

それでも報われなかったら、努力してないですか?

 

報われることには、努力の結果に囚われがちですが、運もあります。

タイミングもあり、その人の人となりにもよります。

 

どうして、なんの根拠も無いのに必ず報われる努力ができるでしょうか。

 

もちろん、報われたくて努力をします。

その未来が見たいから、努力し続けます。

 

でも、努力してもいつまでも報われなかった時に

必ず報われるものとなっているのなら、

その人の努力はまだまだということ。

立ち止まり、疲れ切り、自分はダメなんだ・・・・・・と思い込んでしまいます。

 

そんなことないんですよ。

 

無駄な努力なんて無いんです。

報われなくても苦労の分だけ努力はあります。

 

そんな、自分が作ってきた努力の数々を、

目標としていたことに全く報われなかったからといって

否定して欲しくはないんです。

 

必ず報われるなんて、言っちゃ駄目です。

誤解を生みますから。

 

いつか報われる日を信じて努力し、報われなくても自分は頑張ってる。

 

そう思って欲しいです。

 

いつまでも報われなくても、自分を否定せず、努力を無気力にせず、

胸を張って、前を見続けていくために。

目標をもつために、報われる日を夢見るのは良いことですが、

その言葉ばかりに囚われて、

必ず報われる日を追いかけるのは野暮です。

 

追いかけないで、つかみ取って下さい。

自分の未来は、自分で照らせるように――。

 

強く、強く、たくましい心を育ててください。

 

言葉には、魂が宿ります。

それだけ説得力が生まれてしまうから、

まるっと信じてしまう人もいるんです。

 

「必ず」って言葉は、なかなか使えるものではありません。

100%の確立と確信があるから使えます。

 

いつか、そんな日がくるように。

今から努力し、諦めないように。

 

頑張れ、頑張ってるね、もっと頑張れ、それでも頑張れ、よし頑張った。

新しい自分を見つける旅に出られますように――。

 

 

(つづく)

 

 

「生きる意味」を探す人

 

悩みを抱えている人が大体は考えること。

 

「自分が生きている意味」

 

どうしても、これを考えてしまいがちになってしまいます。

そして、考えても見つかりません。

どうしてそんな、答えがわからないことを考えてしまうのでしょうか。

 

そして、考えてもわからない自分は

「生きていても仕方ない」

と思ってしまいます。

どうしてでしょうか。

生きる意味が無かったら、生きていてはダメなのでしょうか。

 

生きるのがしんどくなった。

自分が生きていても仕方ない。

どうしても、自分のことを消し去ろうと考えてしまいます。

 

何人も、そう言っている人達を見てきましたが・・・・・・。

そんな人の相談を聞いていると、必ず私は怒りを覚えます。

 

もちろん、怒ったりはしません。

わたしも少しそう考えた時期もあったので、気持ちは分かります。

ですが、冷静になって考えてみると、思うんです。

 

・生きている意味がないと何故、生きられないのか?

 

・それなら逆に、生きていられる意味ってなんなのか?

 

どんな意味があったら、自分が生きていて良いと思えるのでしょうか?

 

事業に成功して、お金持ちになれたら?

美男美女と結婚できて、子供にも恵まれ、家庭をもてたら?

 

人によって、幸せの価値は違います。

・お金があれば幸せ

・愛があれば幸せ

・仕事でうまくいけば幸せ

・友達がいれば幸せ

・健康なら幸せ

 

たくさんの、色々な幸せがあります。

 

そして、自分が生きている意味をどうしても探したいのなら。

どんなことをしている自分なら胸を張って生きていけるのかを想像するんです。

 

いま、そんなことを考えながら部屋で独りぼっちでため息をついているのなら。

自分の顔を鏡で見てみてください。

・明るい顔していますか?

・楽しそうですか?

・清潔感はありますか?

・こんな人と、友達になりたいと思いますか?

おそらく、全てが真逆なはずです。

 

それは、自分に自信がないからです。

どうして上手くいかないからってそんなに落ち込むんでしょうか?

最初から自分に自信のある人は少ないと思います。

自信が無い中で、自信が持てるように生き続けます。

それが人生です。

そして、生きているからできることです。

 

かけがえのない命。

ひとつしかない命に意味を求めたって、

そんなの自己満足でしかありません。

だって、その命が存在していることが凄いことなんですから。

 

「親ガチャに失敗した」

そう言う人がいますが・・・・・・。

 

それを言うなら、逆じゃないですか?

子が親を選んだのではなくて、親が子を選んだんです。

生まれて欲しくて、母は産んだんです。

それはただのエゴで、「産んでくれなんて頼んでない」って言う人もいますが・・・・・・。

母は「生まれて欲しい」と願ったんです。

 

それで、十分みなさんが生きている意味があると思いませんか?

 

世の中は生きづらいです。

たくさん悩んで、たくさん辛いこともあります。

ですが、命さえあれば

この先、どんな未来も自分次第で作っていけるんです。

進んでいけるんです。

 

立ち止まっても良いです。

休んでも良いんです。

 

でも、終わらせないでください。

 

また、少しずつ進んでください。

とりあえずで良いんです。

やってみないとわからない世界なんて沢山あります。

 

 

あなたのその命の存在が、生きている「意味」です――。

 

 

(つづく)

 

 

 

短気は損気

 

わたしが子供のころ。

祖母に教わった言葉があります。

 

『気は長く 心は丸く 腹立てず 口慎めば 命長かれ』

 

何処かは忘れてしまいましたが、お寺で書かれていた言葉だそうです。

 

「気」が長く書かれ、「心」が丸く書かれ、「腹」が横向きに書かれ、

「口」が小さく書かれ、「命」が長く書かれていました。

 

その文章を見たときに、なんとなく深いな~と思ったのを覚えています。

 

短気は損気と言いますが、

短気な人はすぐに腹を立てます。

心が尖り、腹が立ち、口から文句や悪口が沢山でてきますよね。

 

そんな性格や態度の人には、運が巡ってきません。

命が長くないということは例えの言い回しでしょうが、

穏やかで平凡な時間は決して生まれないと思います。

 

短気なのは、損。

そんな単純なことを言っているのですが、

ただ短気ではなくなるたけで、

世界はこんなにも優しくなるのだと教えてくれる一文です。

 

細かいことにいちいち腹を立てず、

まあ良いかと許容できることを増やしていくだけで、

他人に優しくできることが増えていきます。

心なしか、自分が一回り大きくなっていく気がして良いですね。

 

人に優しくするようにとは、日本人なら誰でも道徳心を教えられていますが。

 

それでも、なかなかいざとなると自分の感情がむき出しになってしまい、

イライラの感情だけで周りに対する接し方が冷たくなってしまいます。

 

自己中心的とも言われますが、まさにこれが自分のことしか考えていないという結論を生み出してしまいますね。

例えば店員にイライラした時に、その場で相手を叱咤し、暴言を吐いて立ち去る。

一見は店員が悪いのだから怒鳴られても仕方が無いともとれます。

自分は正しいことをしたと怒りを露わにしながら思っているのでしょう。

 

ですが、そこで少し我慢することも必要なんです。

怒鳴っている自分は、それで良いかもしれません。

ですが、大勢の他のお客さんがいる前で怒鳴られる店員は惨めな思いをし、

その怒鳴り声を聞かなければならない他のお客さんにとっては迷惑しかないです。

結局、なにもかも悪いのは怒鳴って帰って行く人だけです。

怒鳴られて可哀想に・・・と思ってくれるお客さんもいてくれます。

明らかに、怒鳴られても仕方ないと思う人は少ないはずです。

その怒鳴り声を聞いて、自分も嫌な思いをしていますからね。

そこでグッと我慢し、言いたければ怒鳴らずに伝えた方が、怒鳴って一人だけ悪者になることもなくなります。

 

一番言いたいときに、言いたいことを言わないようにするのが大人です。

 

他人に優しく。

自分1人じゃ絶対に生きていけない。

思いやりというのは、

自分の心の広さを表わしています。

 

そんなこともある、そう思って他人を許していける優しい心を育んでいきたいですね。

 

(つづく)

 

 

生きづらい世界

 

わたしが高校生の時。

とても仲良くなったお友達Aさんがいました。

その子は明るくて活発で、歌を歌うのが大好きな子でした。

わたしも歌うことは好きでしたので、よく遊びで一緒にハモりながら歌を歌っていました。

面白い話も沢山して、本当に良いお友達を持てたなと思いました。

 

ですが、それは長くは続きませんでした。

仲良くなればなるほど、Aさんはわたしから離れようとしてきたからです。

当時はまだガラケーの時代でしたので、連絡手段はもっぱらメールでした。

いつものようにメールを送ろうとすると、送れなかったのです。

その子はわたしに何も伝えず、自分のアドレスを変えていました。

学校に行っても顔を合わせてはくれず、いつも遊んでいなかった子の近くへ行って楽しそうに笑いながら話していました。

 

何かしたかな?

気に触ることがあったのかな?

 

たくさん悩みましたが、分かりませんでした。

遠回しに、「わたし何かした? 嫌なとこあったら直すから」

とAさんに伝えたりしましたが、ショートメッセージで「死ね」と言われるばかりで何でそんなに無視して怒っているのかさっぱり分かりませんでした。

 

そして、Aさんは他の仲の良い子ともだんだんと拒絶していきました。

わたしと同じように連絡を絶ちきられる子も出てきました。

 

どうしてなのか?

誰も理由はわかりませんでした。

Aさんはいずれ、完全に孤立していきましたが、唯一離さない友達Bさんがいました。

Bさんだけには心を許し、その子とだけ一緒にいるようになりました。

どんなに辛いことがあっても、BさんにAさんは慰めて貰っていました。

どうして二人は仲が良かったのか?

 

二人はレズだったからです。

いつの間にか意気投合していた二人は、周りが恥ずかしいくらいの恋仲になっていました。

人目も構わずべたべたくっついて抱き合ったりしていました。

本人達は良くても、周りからしたら大迷惑です。

写真を撮って面白がる子もいたし、陰口している子もいました。

それでも、二人は幸せそうでした。

 

しかし、だんだんとまたAさんの様子がおかしくなり、ついにBさんにも辛く当たるようになりました。

連絡を絶ちきるようなことはありませんでしたし、ずっと一緒にいるのも変わらなかったですが、明らかにAさんがBさんを虐めるような態度に出ることがありました。

だんだん大きく、目立つようになりましたが、

それでもBさんはAさんを怒らずに、逆に「あいつは可哀想だ」と彼女の為に泣くこともありました。

完全に拒絶されているわたし達には何も理由は分かりませんでした。

全てを知っているのは、Bさんだけです。

そのBさんが、Aさんに酷いことをされても絶対に離れようとしなかったのは、Aさんには何か退っ引きならない理由があるからだと思いました。

 

月日が経ち、わたし達は卒業しましたが、後になって分かった話です。

当時のAさんは、家で母親から虐待を受けていました。

そのストレスでBさんに当たってしまうようになり、

学校でその様子を見た他の子が担任の先生に教えていました。

そして、担任の先生がAさんの母親へ連絡します。

Aさんは帰宅後、また暴力をふるわれていました。

 

それの繰り返しだったそうです。

Aさんは、母親に叩かれるから言わないで欲しいと担任に縋りました。

ですが、担任の先生は「うん、わかった!」と言ったものの、言うのをやめず、

仕舞いには「先生とお母さんと面談で今後の事を話し合おう!」

と言われていたそうです。

 

わたしや他の子達と急に連絡を絶ちきったのは、自分の精神状態がおかしくなっていることに気がついたAさんが、自分の被害に遭わせたくなかったからだと後に教えてもらいました。

しかし、Bさんだけは離せなかった。

Aさんにとって特別で、唯一の心の支えだったから。

そんなBさんを辛い目に遭わせてしまう自分が嫌になってしまい、リスカなどもするようになっていました。

 

どれだけ悩んでいたのか。

どうして相談してくれなかったのか。

勝手なことをたくさん思いましたが、Aさんにとってはわたし達と一緒に過ごした時間が本当に楽しかったようで、その思い出を壊したくなかったんだそうです。

 

思う事はたくさんあります。

ですが、唯一よかったと思うのはBさんの存在がAさんにはあったことでした。

 

本当に、この世の中は生きづらく、辛いことや苦しいことは沢山あります。

その中で、一緒に居てくれてありがとうって思える相手がいたならば、それは本当に幸せな事です。

 

自分が歩んでいる人生、一歩一歩をゆっくりでも着実に進んで生きたいですね。

 

(つづく)