命よりも大切な仕事
2度目の転職先は、地元のお風呂屋さんでした。
某有名会社のユニットバスを組み立てる業者さんです。
この会社は、基本的に出張がメインでした。
毎日、建築中のお家を転々として1日でユニットバスを組み立てます。
遠い現場だと、隣の県まで行く事になり、朝早くからよる遅くまでかかることもありました。
基本的に、2人一組のペアで各々朝に会社で部品を積み、現場に行き帰ってくる感じでした。
この今までと全く違う職業を選んだ理由は、気持ちを新たに切り替えたかったことや、知らない世界を見てみたいということでした。
未経験でも大丈夫ということでしたが、技術や経験が付きものの仕事でしたので、最初から分からないことだらけで迷惑もかけてしまい、それはそれで大変な思いをしていましたが、社長さんや班の親方さん達は優しかったようです。
人間ですから、どの会社にも自分の苦手なタイプの人達は数名いるものです。
ですが、自分のことを注意してくれて叱ってくれる存在は大人になってからは貴重な存在ですし、成長できるよねと励まし合っていました。
仕事を覚えるのと同時に、朝が早く遠くまで行くことが大変だったように思います。
工場の頃は三交代でしたが、地元の町にある会社だったので、車で15分くらいの場所でした。
それでも、その日の分の仕事が終われば早めに帰っても大丈夫という感じでしたので、早く終わった時はとても嬉しそうにしていました。
現場に行くのも親方さんとのドライブのような感じなので、仲が良くなった人達と会話しながら現場に向かうのも楽しそうでした。
それから1年、2年ほどその仕事を続けていましたが、実はその中でもっと良い場所はないかと転職先を探し続けていたことも確かでした。
早く職場復帰しなければと、半ば無理矢理に決定した場所でしたので、もっと良く考えて決めたいと欲が出ていたのも確かです。
人間ですから、向き不向きはあり、得意不得意もあります。
お風呂屋さんが向いていたかと言うと、あまり上達の頻度は著しいようでしたので、本人も苦労した部分はあったかなと思います。
お風呂屋さんを続けていきながら、私も次の転職先を一緒に探しました。
なにより、日勤でそれほど遠くない場所で仕事がしたいということ。
身体が資本ですから、なるべく続けやすい仕事が良いなと思っていました。
そして、3度目の転職をする機会がやってきました。
その会社はまた工場でしたが、完全に日勤であり、仕事内容も前とは違いました。
少し距離はあるものの、往復1時間ほどで行けます。
そして、いきなりの正社員募集でした。
職種は違えど、工場経験者で少しの技術免許も持っていましたので、これは逃す手はないと私はその会社の話をしました。
夫も「良いね」と気に入ってくれ、早速応募することになりました。
夫は仕事を普通に続けていましたので、私が書類を用意しました。
履歴書は書いてもらい、職務経歴書は私がPCで作り、最後にチェックしてもらい、送りました。
そんなにしないで、面接の案内が届いたと思います。
夫は喜んで面接に行き、その日のうちに正社員になることを決めてきました。
私の作成した職務経歴書が良かったと、喜んでくれました。
それから、その時の職場を辞めて新しい工場に入るのは早かったです。
社長さんが話のわかる方でしたので、この会社にいて良いの? と、よく心配してくれていたと聞きました。
辞めますと話に行った時も、すんなり受け入れてくれて大変じゃなかったと言っていました。
それから月日が経ち、年月が経ち、今も3度目の転職先で元気に働いています。
給料は多くはありませんが安定しており、年に2回のボーナスも出ます。
理不尽なことはもちろんありますが、班長さんもとてもいい人そうで、今までで一番良い職場だねと喜んでいます。
ここまで元気に続いていることが、一番の証拠ですね^^
私は、転職は悪い事ではないと思って居ます。
誰でも悩み、仕事は嫌いだし、もっと給料が良い所に行きたいと望みたいものです。
なにより、自分の人生の中で1番の肝になる部分ですから、慎重に決めたいですよね。
義理の妹は、ああゆう性格ですので(※前の記事参照)
「一カ所の職場でずっと頑張れないなんて根性が足りない。我慢ができないなんて怠惰だ」
そんな意見を言っていました。
ですが、一カ所の職場で頑張れたらなにか偉いんでしょうか?
自分に合っていれば、ずっとそこで頑張れますが・・・・・・。
それは運もあるし、確かに辞める理由にもよります。
自分で悩んで変える考えを持つ方が、しがみついているよりもずっと勇気が要ります。
働くというのは、命あってのことです。
健康でなければ働く事は出来ません。
それに大切な心と身体を、優先しただけのことなのです。
一度だけの人生を、悔いの無いように過ごしていきたいですね^^
(つづく)