私の存在は泥でした。

こんにちは! るんらびです^^

 

前回は、私がこれまでに引っかかってしまった詐欺のことについて書きました。

あれから月日が経ってはいますが、その時の心境や思いがそのままトラウマとなり決して忘れてはいけない、忘れられない出来事になりました。

 

この件については、夫以外には話していません。

他の家族、特に実父には決して口が裂けても言えないと思っています。

恥ずかしいですからね。

私はあまり頭が良い方ではないので、何かと飽きられている部分はあると思います。

何か不具合があって話をしても、私の言うことをすぐに信じたりはしてくれません。

今までの行いや、ポケポケと何も考えて居ないような発言に信用性が見いだせないのだと思いますが・・・・・・。

 

今回は、そんな実父の話をしようと思います。

 

私の父は、関西圏生まれの関西育ち、生粋の関西人です。

ですが、母と結婚をすることになり関東に移住しました。

婿入りですね。

 

関東人の母と関西人の父が出会ったきっかけは、当時に流行っていた雑誌の存在でした。

文通相手を募集するコーナーがあり、(時代を感じますね;)

父がそこに掲載しました。

段ボールいっぱいに全国の女の子からお手紙が届いたそうです。

その中で、文字が綺麗だからと文通を始めた相手が母でした。

 

まさか、本当にそんな単純な出会いで結婚までするなんて――。

不思議でたまりませんでしたが、そんな偶然がいくつも重なって私が生まれたのかと思うと、本当に自分が存在していることって奇跡で、当たり前なことなんて何も無いんだなぁと思います。

 

しばらく文通して仲を深め、ついに母が父のいる関西へ向かいました。

母がお財布を落としてしまったり、父が車をぶつけてしまったり、なにかとトラブルもあったようですが、その時のデートの記憶などは2人の思い出ですね。

 

そして、私がお腹にいることがわかり結婚を決めました。

 

ですが、俗に言う「できちゃった結婚」です。

当時はまだ昭和の時代でしたので、結婚前に子供をつくることは一般常識的にありえないことでした。

 

この結婚を許さなかったのが母の実父である私の祖父です。

 

家出同然に関西の父に会いに行き、私を身ごもって帰ってきた母の顔を、祖父は胸ぐらを掴んで殴りました。

そして吐き捨てるように言ったのです。

 

「よくも俺の顔に泥を塗ってくれたな!!!!!」

 

この一件は、母は言わないようにしてくれていましたが、私が高校生のころに叔母に言われました。

 

普通は気を遣って言わないんですけどね・・・・・・性格が悪い人なので仕方が無いです。

そんな祖父と叔母については、また別の記事でお話しします;

 

あぁ、私の存在は泥なんだな・・・・・・。そんなことを考えて悩んだ時期もありました。

本当に辛い子供時代を過ごしましたので、余計に悩みました。

私が生まれなきゃ、父も母も大変な思いをしなかったのではないかと。

 

それでも私を産んでくれた。

関西に親しんだ父が、嫁に行きたくないと言う母の希望を通して嫌な義父のいる関東に婿入りすることを決断したことには深い意味と理由があったからなのだと思っています。

 

父は、関東の暮らしはまるで分かりませんでした。

母の実家は関東の中でも田舎でしたので、都会育ちの父はそのギャップに大分苦労していたようです。

 

電車に乗ればどこにでも行けた生活から、周りを見渡しても田んぼと畑しかない場所に生活圏を移し、もちろん友達もいませんでした。

 

そして、自営業を始めました。

頭の良い父は、会社に勤めるという選択肢がなく、PCが好きでしたので自分で会社を立ち上げ仕事をしていました。

詳しい仕事内容は今でも話をしてはくれませんが、本当に忙しそうにしているなとゆうのが幼い頃からのイメージです。

 

母の実家で祖父母や叔母と同居をしていましたが、祖父との仲は最悪で口も聞かないレベルでしたので、みんなが夜に寝静まった頃にこっそり寝にだけ帰ってくるという感じでした。

お金もなかなか貯まらず、4人弟妹でしたので引っ越すこともできず、母の実家は建て直した大きな家でしたが、祖父母と叔母が4部屋使い、私たち6人はみんなで6畳間の1部屋で過ごしました。

 

それでも父は弱音を吐くことはありませんでした。

酷いときは、別でアパートを借りてそこで暮らしながら仕事をしていたこともありましたが、私たちにはとても優しかったです。

一緒になかなかご飯を食べられなかった為、たまに誘ってくれて母と弟妹達とで外食に連れて行ってくれました。

 

その時間が、本当に楽しかった――。

祖父の話になると長いのでここでは割愛しますが、祖父と一緒に家にいる時間は本当に辛くしんどかったです。

一緒にいたくないという思いばかりでしたので、父の誘いを断る理由は何もありませんでした。

 

そんな生活が続いていた、ある日。

 

母が家から急にいなくなりました――。

 

 

 

《つづく》